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本朝変態葬礼史 (4/9)

中山太郎

先住民族が残した変態葬儀

 関東地方から東北地方へかけて、死人があるとその者の着ていた衣服を日陰へ竿で吊し、四十九日の間は昼夜とも水の乾かぬように間断なく水を懸ける。俗にこれを『七日晒し』と云うている。それから和歌山県海草郡有功いさお村大字六十谷むそたに及び同県那賀郡山崎村大字原では、昔から僧行基がおしえたと云う、『ふせ三昧』と称する葬法を用いている。その葬法は屍体を入れた棺を上半部は地上に露し、下半部だけを地中に埋めるのである。同地は山間にある村落であって、屍体は土深く埋めても猛獣のために発掘され喰い散らされるのであるが、僧行基がふせ三昧の呪法を修してから、この被害がなくなったと伝えている。

 この二つの習俗は、余り他に見聞せぬことであって、その源流がどこにあるか、久しく見当が附かなかったのであるが、 ようやくにしてそれが先住民族であるアイヌの残したものであると考えついた。まずこれが典拠を挙げ後で管見を加える。近藤正斎の辺要分解図考巻三に左の記事がある。

カラフト夷人アイヌ(中略)の葬礼は、夷人アイヌ初めて死するときは、刃物を以て死者の肛門を抉り、その穴より臓腑を抜き出し、骸骨のうち少しも汚穢なきやうに浄潔に洗ひそそぎ、布を以て拭ひ乾し腐らざるやうにす。し腐ることあるときは、その臓腑を去ること不念なりとて、その者より夷俗の償ひを取ることなり。此の死者の臓腑を拭きとる者は平生予め言かはせ置きて、その人は極りあることなり。さて屍を干し乾して凡そ三十日ほどき、その間に親族集りて木を伐り棺を制するなり。(中略)奥地タライカヲリカ辺にては屍骸を三年の間乾し曝し置くなり。その棺を山へきあげなかばは土中へ埋め半は上より出す。棺の上には内地の神祠の勝男木かつおぎの如きものを上げ置くなり云々。

 

 さらに蝦夷風俗彙纂に由ると、この屍体を乾すために、一名の婦人が附き添い絶えず水を懸けると云うことである。そしてこれらの記事を読んで、前に載せた七日晒しや圧三昧の習俗を かんが えて見ると、ともにアイヌの残したものが簡略化されたことが知られるのである。しかるにこうした事は他にも類例がある。

 福島県平町附近の村々では、昔は妊婦が難産のために死ぬと、妊婦の腹を割き胎児を引き出して妊婦に抱かせ(愛媛県では妊婦と胎児とを背中合せにした)それを一つ棺に入れて葬ったものである。そしてこの むご たらしい習俗はアイヌのウフイが残存したものである。アイヌでは難産で死ぬと墓地において、老婆が鎌を以て妊婦の腹を切開して葬ることが、アイヌの足跡と云う書に詳記してある。福島県のそれと全く同じものである。なお同県の安達ヶ原の故事として、老婆が妊婦の腹から胎児を取り出して食うと云うのも、要するにこの習俗が伝説化されたものである。

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青空文庫より転載させていただきました。

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2018.4.2 UP



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