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本朝変態葬礼史 (7/9)

中山太郎

沖縄諸島の葬礼と洗骨の習俗

 沖縄は本島を始め各島々まで、古代の習俗を克明に保存しているだけあって、葬礼についても各島々に限られた習俗が沢山に残っている。ここにその総てを記すことはし得ぬところであるが、各島々に渉り特に変態と思うものだけを摘録する。

 沖縄諸島で古く屍体を林野に投棄したことは、内地のそれと全く同じであるが、この場合に遺族や親友は、その屍体を訪れて俗に『別れ遊び』と云うことをした。もちろん、この事は古く内地にも行われた資料は残っているが、習俗としてははやく ほろびてしまい、わずかに沖縄諸島に保存されたのである。この事につき同地出身の伊波普猷氏は左の如く記している。

二十余年前、沖縄島の中部の東海岸を、少し沖に離れた津堅島つけんしまで、暫らく教員をしていた知人が、彼が赴任する十数年前までは、同島で風葬が行われていたと云うことを、私に話したことがあった。其処そこでは人が死ぬと、蓆で包んで、後世山ごしょうやまと証する籔の中にほうったが、その家族や親戚朋友たちは、しかばねが腐爛して臭気が出るまでは、毎日のように後世山に訪れて、死人の顔を覘いて帰るのであつた。死人がもし若い者である場合には、生前の遊び仲間の青年男女が、毎晩のように酒肴や楽器を携えて、これを訪れ、一人々々死人の顔を覘いた後で、思う存分に踊り狂つて、その霊を慰めたものである。私も数年前この小島に講演しに行ったついでに、所謂、後世山のあとを見たが、島の西北部の海岸に沿うた藪で、昼だに薄暗い所であった。其処そこでは風葬の関係上、古来、犬を飼わなかった云々。(民族二ノ五)
 こうした原始的の葬法から幾多の変遷を経た後に、一度ひとたび、土中に埋めた屍体を三年目(これは原則であって例外のある事は言うまでもない、それについては後に述べる)に掘り出し、水に酒を和して叮嚀に洗骨して別に造ってある石室せきしつの墓に収める習俗を生むようになったのである。しかしながら沖縄の洗骨なるものが、内地の遺風か支那の影響か、それとも同島の固有のものか判然せぬが、恐らく南支那から輸入したものと思われる。そして洗骨に関しては石垣島測候所長の岩崎卓爾氏から、かつて左の如きお話を承わったことがある。
沖縄の各島では三年毎に洗骨をするが、この現場だけは他国人には絶対に見せぬ。私は島に二十余年も居るので、数年前に村民に嘆願するようにしてようやく見せてもらつた。しかしその時の条件として、第一は現場を写真に撮らぬこと、第二は現場の始末を口外せぬことであつた。私は村の人達に伴われて現場に臨んだが、最も驚いたことは洗骨する者が悉く女性であったのと、その始末が想像以上に惨酷であつた点である。沖縄では古俗として一人の遺骸より外には墓地に置かぬと云う迷信があるので、後の人が死ぬと前の人のが三年を経過せずとも洗骨するのであつて、私が見たのは死後約半歳しか経ぬ男子の屍体であったのを、三名の婦人が手に庖丁様の刃物を持って、片ッ端から腐肉をいで骨とし、それを水五升に酒一合ほど入れたもので洗うのであるが、それは全く地獄の活図を見るようであつた。数年後の今日でもその時の事を憶い出すと、一種言うべからざる異臭が鼻を突くのを覚える。ただ茲に注意すべきことは、洗骨を境として寡婦の心理状態が一変して、それより稍々やや放縦に流れる傾きがある云々。

「屈葬した石器時代の人骨(備中津雲貝塚)」のキャプション付きの図
屈葬した石器時代の人骨(備中津雲貝塚)

「沖縄の髑髏塚」のキャプション付きの図
沖縄の髑髏塚

「朝鮮の空葬風景」のキャプション付きの図
朝鮮の空葬風景

「唐人島首長の墓」のキャプション付きの図
唐人島首長の墓

 沖縄にはまだこの外にも変態の葬儀や墓地と見るべきものが多く残っている。洞窟内に屍体を置き、それが腐つた髑髏塚も各地に在った。さらに墓地を大金を投じて築造し、これを抵当にして金を借ると云う、同島独特の習俗もあるが、今は長文になるのを恐れて省略する。

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青空文庫より転載させていただきました。

(てつ@み熊野ねっと

2018.4.2 UP



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