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石や草が恋を語る話

雑賀貞次郎『南紀熊野の説話』

紺の前垂れ
松葉を描いて
まつにこんとは
うらめしい——

という俗唄がある。浅劣な拙いシャレのようで一応は感心せぬが、しかし小娘が思う男へ「小石」へ「松の葉」を添えて贈り

こいしこいしと
焦る焦る思ひ
こよひ寝てまつ
来てたもれ——

という意に通じるのが今も紀州熊野に残っていることを考えると、拙いシャレのようだが、単に口頭の語ではなく、拠って来るところのあったことが推知されそうである。

中斎先生大塩平八郎の高弟で中斎が大阪に事を挙げるその晩、ひそかに大阪を抜け出し、あやうく連累となるのをのがれて、郷里紀州新宮へ逃げ帰った湯川麑洞(ゆかわ げいどう)は、大正昭和に住友王国の総理たり大阪財界の大御所だった湯川寛吉老の祖父に当たるが、その著異撰堂詩集のうちに

ふみはやりたし
書く手はもたず
ものを言へかし
白紙が——
  ■
不識一丁字  無由托雁魚
寄郎唯白紙  看作数行書

というのがある。俗唄のままの方がわかりやすいのを、わざと六ヶしく漢詩にしたところが、所謂儒者の文字遊戯であろう。

が、しかし、紀州では「物を言へかし」に白紙なんか使はず、もっと簡略な方法が今も存している。

紀州の富田川上流の村々では、男が突然女の手首を握ると「私はお前に首っきり恋している」という意思表示になる。女が握られた手をふり離せばむろんイヤですという意、黙ってニヤリとすればOK。

相許した男女の間では、男女いずれからでも人さし指と中指を外側へ反らせると、家の外で逢おうという合図、反対に内側へまげると家の中で逢おうという合図、また人さし指と薬指を合わせると故障あり逢えぬとの合図となる。目が口ほどにものを言いというが、手が口以上にものを言うのである。

言語がまだ充分に発達せず活用もされないころは手ぶり身ぶりが意思表示に重要な役目をつとめたことは、ここに繰りかへす必要もないが、言語が発達し活用され、口頭によってお互いの意思が完全に伝え得るに至った後ちも、例の人目の関などいう支障があって、それを利用し得ない場合とか感情、心持ちを言語では一気に表示し得ない折りには手ぶり身ぶり、ことに手ぶりが言葉以上に、その人の意思を相手方に表示し、ことに恋や愛やのイキサツには、簡単な仕ぐさで強く相手に響かせる。それから視覚の働かぬくらいところでは、手や足は触覚を通じて言語以上にものをいうのは誰も知るところであろう。

今は全く忘れられている。しかし今から二三十年前までは——。

紀州の田辺に近い秋津川村などで、男女がうちつれて山へ薪木をとりに行く、山では別れ別れに持場につくが、作業を終り一定の集合場所へ引きあげたものが、朋輩の集まるのを待ちつかれて一ト足さきに帰途につく時、松の木の枝を切ってそこへ残し置く、後ちに集まったものはそれを見て
「まったけれども遅いので先きへ帰った」
とさとった。
すすきとよめなを束ねて男に投げた娘がある。
「あなたがすきだからよめにしてほしい」 との意だと男は覚る。男がその娘を嫌でないかぎりは、この男女は古い唄の文句ではないが、 露はすすきと寝たという、すすきは露と寝ぬという始末だ。

紀州熊野地方では、女ならば他の妻でも娘でも、男ならば妻や子があっても、まだ独身でも、そんなことには一切関係なく、小石二個を男が手ずから女の袂へ入れると、「あなたをこいしこいしと慕うています」ということになる。そして相手の女がすぐその石をとり出して棄てぬかぎり、OKたること勿論です。

紀州藩の仁井田長群は天保度に熊野地方の代官でした。文字があって民俗、奇譚に興味をもった彼は、代官勤務中の見聞を録した郡居雑記という書物がある。その中に

山民男女挑淫、仮意於草名、草名寓詞、綴以編糸、或以紅絹、艷之也、密封謂之草文、受者判読知其意

絹糸や紅絹で綴じていろつやをつけた話は今は忘れられたが、昔は優にやさしく行われたのであろう。とにかくすすきやよめなを束ねるのは草文というものらしい。雑記はまたいう

男女期者、以指致意代詞、謂之指折

熊野地方では今も児童が遊戯するに約束など行うとき、互いに右の人さし指または小指をまげて引 き合い「指きりかまきり、せぬもの腐った」(約束を履行せぬものはその指腐るべしとの意)と唱え、最後に互いに拇指と人さし指で円をえがき、それを口にあてて吹き「輪を吹いた」とて證文に捺印するが如く約束固めのしるしとするが、これは児童の間に旧守が残されたので、以前は男女間にもそれが行われたであろう。

手首を握るのは何というか、まだ分らない。

郡居雑記はまたいう。

又隻語寓情意、謂之片言

片言のことは今は忘れられたが、今から三十年ばかり前、紀州田辺の郊外のある村で、通りすがりの田辺のある男が、おりから春の花のさいたさつきの木を買い求めて帰ろうと、村の二十あまりの娘をとらえて

「ねえさん、さつきの木がありませんか」(売ってくれる木がないかとの意))

と問うと、娘さんは顔を赤らめながら何も言わず、スタスタと走り去った。男は不審に思って村の老人に話すと、老人はおかしさに堪へぬように「さつきがないかなんて、見知らぬ娘さんにいうとは!」
と笑うた。男が廓然として大悟したのは勿論である。

片言というのはそんなのではなかろうが、それに似たものであろう。また、大和言葉、すなわち

奥山の烏です(一人泣き暮すという意)

などいうのを指すのだろう。

こんなことを掘り出してゆくと、山の中に住んで草のように生まれ草のように枯れていった昔の女 も、今の都会にあって尖端とかをゆくといふ御婦人たちの花言葉とかスタイルとかの合図というのも、あまり距離がなさそうである。  (昭和七年八月、犯罪公論二巻八号)

(入力 てつ@み熊野ねっと

2017.4.29 UP


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