紀南竹枝 併序
佐藤春夫
この間、新聞で女子漁撈隊が挺身の記事を見た晩、郷里の海村の近況などに思を馳せて、熊野地方俚俗の語でこの曲を作つてみた。紀枝竹枝などと題は尤もらしいが、何さ申本ぶしの化けたのぢやがのし一燦を得たら幸である。
わしのしよらさん*1
輸送船のごよう
あとはたのむと
出やつたがのう*2
あぜの代りに*3
かつををつれば
かぜのみなみも
なつかしう無うてか*4
日やけ潮かぜ
構はんけれども
せめてしよらさんや*5
きらはんほどに
色は黒うても
心やあかい
ほめてくだんせ
見違へん勿(な)のよ
*1 愛人の意、語源は知らず。
*2「出やつた」は「出かけられた」といふ程の意「のう」は慣用の語尾
*3 あぜ、人を慣れ親しみ又は罵る時の第二人稱、古語「吾兄背」の傳か。
*4 無うてか愛慕の惑、「豈……無からざらんや」
*5「や」は主格を表はす語、「は」「が」などの如き意、次の聯の「心やあかい」も赤これである。
*6「な」打消の語尾に「のよ」の女性慣用の語尾をそへたもの。一句は「お見ちがへくださいますな」の意
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第2巻、臨川書店
初出:1944年(昭和19年)8月1日発行の『浄土』(第一〇巻第八号)に掲載
(入力 てつ@み熊野ねっと)
2015.9.2 UP