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正尊

『謡曲三百五十番』No.198

※平家討滅に功あった源義経であったが、頼朝に疎まれて鎌倉入りを許されず京に留まっていた。頼朝は配下の土佐坊正尊(しょうぞん)を都へ差し向けた。義経と弁慶から上洛の目的を詰問された正尊は熊野参詣のためと説明し、起請文を書いて読み上げ、その場を免れる。


季節:九月
ツレ:源義経
子方:静御前
ツレ:江田源三
ツレ:熊井太郎
ワキ:武蔵坊弁慶
前シテ:土佐坊正尊
後シテ:同
後シテ:姉和光景
立衆(シテ方):人数定マリナシ

<赤尾照文堂『謠曲二百五十番集』>

 

ワキ詞「是は西塔の武蔵坊弁慶にて候。さても我が君判官殿は。鎌倉殿より大名十人付け申され候へども。内々御中不和になり給ふにより。心を合はせて一人づつ皆下りはてゝ候。さても去年の正月木曽義仲追討せしよりこの方。度々平家を攻め落し。此春亡ぼし果てゝ候。一天を静め四海を澄ます勤賞行はるべき所に。渡辺にて梶原が逆艪の意見を承引し給はざりし遺恨により。我が君を讒奏申し。御兄弟の御中不仲になり給ひて候。又鎌倉より土佐正尊と申す者。昨日都へ上つて候ふが。是は我が君を狙ひ申さんためと聞しめされ。急ぎ召し連れて参れとの御諚にて候ふ程に。只今土佐が旅宿へと急ぎ候。いかに案内申し候。判官殿より御使に武蔵が参じて候。正尊はこの屋の内に御入り候か。

シテ詞「武蔵殿かやあら珍しや。まづ此方へ御入り候へ。

ワキ「承り候。まづ以て御上めでたう候。これは君よりの御使にて候。上洛のよし聞しめし及ばれ。何とて御伺候は候はぬぞ。鎌倉殿の御意も聞しめされたく候ふ間。急いで御参あれとの御事にて候。

シテ「さん候宿願の子細候ひて。熊野参詣のためにふと罷り上りて候。昨日京着仕り候へども。路次より違例仕り散々の事にて候ふ程に。今まで遅なはり申して候。

ワキ「委細承り候。仰はさる事なれども。唯今御供申せとの御事にて候。

シテ「畏つては候へども。今少し養生を加へ。必ず伺候申し候ふべし。

ワキ「いや/\片時も早く国の御事をば聞しめされたく思し召せば。ただ/\御供申さんと。

シテ「是非をいはせぬ武蔵殿に。

ワキ「さしも剛なる。

シテ「土佐坊も。

地「否にはあらず稲舟の。/\。上れば下る事もいさ。あらましごとも徒に。なるともよしや露の身の。消えて名のみを残さばや。/\。

ワキ詞「畏つて候。こなたへ参られ候へ。

判官「如何に土佐坊珍しや。さて何のために上りてあるぞ。鎌倉殿より御文はなきか。

シテ「さん候さしたる御事も御座なく候ふ間。御文は参らず候。詞に申せと候ひしは。都に別の子細なく候ふ事。偏に御渡り候ふ故と思しめし候。かまへてよく守護させ給へとこそ御諚候ひつれ。

判官「よもさはあらじ。義経討ちに上りたる御使とこそ覚えたれ。

ワキ「御諚の如く。大名共をさし上せられ候はゞ宇治瀬田の橋をも引き。都鄙の騒となつてはあしかりなんと思しめし。土佐坊上つて物詣するやうにて。たばかつて討ち申せとこそ仰せ付けられ候ひつらめ。和僧に於てはこの法師。手なみの程を見すべきなり。

シテ「あら勿体なや。たとひ人の讒言により。君こそ仰せ出さるゝとも。さすがに武略の武蔵殿。さはあるまじきと申されてこそ。御兄弟の御中に。ものいひさがなき事あるまじけれ。まづ静まつて事のわけを。委しく聞き給へ武蔵坊。これは御諚にて候へども。何によつて唯今さる御事の候ふべき。聊宿願の事の候ふ間。熊野参詣の為に罷り上りて候。

判官「梶原が讒奏により。義経を鎌倉へも入れられず。道より追ひ帰されし事はいかに。

シテ「その事はいかゞ御座候ふやらん。身に於ては全く緩怠あらざる趣。起請文に書き表し。唯今御目に懸くべしと。

地上歌「当座の席を遁れんと。土佐は聞ゆる文者にて。自筆に是を書き付け。弁慶にこそは渡しけれ。

シテ起請文「敬つて申す起請文の事。上は梵天帝釈。四大天王閻魔法王五道の冥官泰山府君。下界の地には。伊勢天照大神を始め奉り伊豆箱根。富士浅間。熊野三所金嶺山。王城の鎮守稲荷祇園賀茂貴船。八幡三所。松の尾平野。総じて日本国の大小の神祇冥道講じ驚かし奉る。殊には氏の神。全く正尊討手に罷り上る事なし。この事偽これあらば。この誓言の御罰を中り。来世は阿鼻に堕罪せられんものなり仍つて。起請文かくの如し文治元年九月日。正尊と読み上げたるは。身の毛もよだちて書いたりけり。

地「もとより虚言とは思へども。文を揮うて書いたる。器用を感じ思しめし。御盃を下さるゝ。折節御前に。磯の禅師が娘に。静と云へる白拍子。今様を謡ひつゝ。お酌に立ちて花かづら。かゝる姿ぞたぐひなき。舞の袖。

中ノ舞三段「。

子方静「君が代は。千代に一度ゐるちりの。

地「白雲かゝる山となるまで。山となるまで/\。

静「変らぬ契りを頼むなかの。

地「変らぬ契りを頼むなかの。隔てぬ心は神ぞ知るらんよく/\申せと静に諫められ。土佐坊御前を罷り帰れば。君も御寝所に入らせ給へば。おの/\退出申しけり。

中入、狂言シカ%\「。

ワキ詞「如何に申し上げ候。唯今土佐が宿所を見せに遣はし候ふ所に。幕の内には矢を負ひ弓を張り。兵ども皆武具をし。唯今打つ立つ気色見えて。更に物詣の気色は見えぬ由申し候。

判官殿「固より覚悟の前なれば。何程の事のあるべきぞと。

ワキ「そのまゝやがて御座を立ち。

静「静は着背長まゐらする。地「義経之を召されつつ。/\。御佩刀を取つてしづ/\と。中門の廊に出で給ひ。門を開かせ諸共に。寄せ来る勢を待ち給ふ。/\。ツレ物着

シテ立衆一セイ「白浪と。よそにや聞かんわたづみの。深き心はある物を。

シテ詞「その時正尊駒しづ/\と打ち寄せて。大音上げて名乗るやる。そも/\これは鎌倉殿の御使。土佐坊正尊とは我が事なり。九郎太夫判官殿の。討手の大将たまはつたり。とうとう御腹めされよと。大音上げてぞ呼ばはりける。

地「味方の勢は之を見て。/\。あの土佐坊を打ち取らんと。われも/\と進む中に。江田の源三熊井太郎。弁慶を先として。門外に切つて出づれば。寄手の兵渡り合ひ。をめき叫んで戦ふたり。

ワキ詞「その時弁慶表に進み。いかに土佐坊たしかに聞け。さても書きつる虚起請の。罰を忽ち与ふべし。いざ一太刀と呼ばはれば。

ツレ姉和「大将討たせて叶はじと。好む打物ひつさげて。弁慶を目懸けて懸りければ。

ワキ「天晴器量の仁体かな。さて汝は誰そと尋ぬれば。

姉和「ものその物にあらねども。正尊が内に名を得たる。陸奥の国の住人に。姉和の平次光景なりと。大音上げてぞ名乗りける。

ワキ詞「げにゆゝしくも名のるものかな。さては汝は土佐が郎等。われには不足の者なれども。志をば報ぜんと。

地「薙刀やがて取り直し。/\。無慙や汝。手にかけんと。こむ薙刀を打ちはらひ。受け流せば又とり直し。ちやうと打てば。はつたと合はせ。重ねて打つに。打ち込まれて。何かはたまらん唐竹割に二つになつてぞ失せにける。正尊これを見るよりも。/\。むねとも郎等数輩討たせて。今は適はじと馬よりおり立ち。乱れ入るを。義経打物とり直し給ひ。すきまを有らせず戦ひ給へば静も諸共に切り払ひ切り払ふ正尊適はじと引き立ちけるを。弁慶追つ詰め戦ひけるが。押しならべむずと組みえいやと投げ伏せ大勢取り込め縄打ち懸けて。悦び勇み囚人を引かせ。御門の打ちにぞ入り給ふ。

** JALLC TANOMOSHI project No.1 ** ** 謡曲三百五十番集入力 **より
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2018.11.1 UP

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