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男子側面観

管野須賀子

  妹の容体いささか悪しうて、予定の日に乗船なりがたく、今数日止まる事となりければ、看護の傍ら書きつけてみし、こんなつまらぬものを、ちょっと御目に。

 世に男子ほどうぬぼれ強き動物は無かるべし。婦人より通り一遍のお世辞を聞いても、すぐに「オホン」と早合点して、微かに厭味たっぷりの笑みを洩らすものなり。

 まこと男子はうぬぼれの権化なるかな。

 うぬぼれの強き男子ほど、否、男子は概して弱き者を好む通有性あり。

 されば万一の場合に、れっきとした相談相手になる妻よりも、「どうしましょう」と、まず涙を浮べて途方に暮るる意気地なき女を、かえって可愛と思う者なり。

 時世の進歩は止むなく、昨今才学ともに己れに相当する妻を求むる様にはなりたれど、しかもその心の奥底には、やはり己れの自由になる女をと、望みおるなり。

 男子の多くは、意見のある婦人を厭うものなり。馬耳東風の筒抜けにても、とにかく感心して、我が言うことを聞いてくれる女を好む者なり。

 うぬぼれの強き男子は、女子の玩弄物となるものなり。しかして男子自身は、お気の毒にもそのことを自覚せざるなり。

 嫌に澄まして、気取って、威儀とかいう似非仮面を被って、偉そうなことを言い、利口そうな素振りをして、真面目に片附け込んでいる男ほど、女の目には、しらじらしい馬鹿さ加減が見え透くものなり。

 過ぐる日の観兵式などには、この馬鹿な百面相が、ずいぶん見事なりしならんと想像さる。

 男子は案外浅墓なる者なり。彼らの婦人に対するや、ある一面の観察により、すべてを断定し、女くみし易しとうそぶけるなり。憐れむべし。

 愛するを好む男子と、愛せらるを好む男子とあり。前者はすべてが男性的にして、後者はすべてが女性的なり。

 二言目には、女など……と、偉そうに言えど、男子は案外に度胸の据らぬものなり。イザという場合には、かえって女の方が大胆なり。

 男子は、兵糧尽きたる城に籠れる人の如し。外郭(うわべ)だけはちょっと堅固そうに見えても、いったん門を打ち破って進めば、たちまち降参する者なり。存外意気地なき者なり、存外無邪気なる者なり。

 男子が婦人に対して、偉そうなことを言い得るは、天性事なかれかしと、控え目勝ちの婦人が、城の櫓(やぐら)に空腹を抱えながら突立ちたる男子に「近寄るな」と大喝せられて、進んでその追手、搦手(からめて)を得打破らざりしに依る。

 これ畢竟、多年の圧制なる習慣の然らしめたるのみ。天性男子が婦人に優れるの故にあらざるなり。二十世紀の今日、あに思想界の巴(ともえ:平安時代末期の女武将)、板額(はんがく:鎌倉時代初期の女武将)無からんや。

〔幽月女『牟婁新報』第587号・明治39年(1906年)5月6日〕



底本:「管野須賀子全集 2」弘隆社
   1984年11月30日発行

※表記は底本のままではなく、旧字、旧かなづかいは常用漢字、現代かなづかいに改めています。一部、漢字をひらがなに改めている箇所もあります。

管野須賀子(かんの すがこ)

本名、管野スガ(かんの スガ)。明治時代の新聞記者、社会主義者。
女性の解放と自由を求めた女性ジャーナリストの先駆者。筆名は須賀子、幽月。
国家権力によるでっち上げの事件「大逆事件」で死刑に処された12人のうちのただ1人の女性。享年29歳。

明治14年(1881年)6月7日、大阪市に生まれる。
明治35年(1902年)7月1日、『大阪朝報』の記者になる。
明治38年(1905年)10月頃から和歌山県田辺町の地方新聞『牟婁新報』の社外記者になる。
明治39年(1906年)2月4日、『牟婁新報』に社主・毛利柴庵の入獄中の臨時の編集長として招かれて赴任。毛利柴庵の出獄後、5月29日に退社。
明治43年(1910年)6月1日に大逆罪で逮捕される。
明治44年(1911年)1月18日に死刑判決を受け、7日後の1月25日に死刑に処される。

(てつ@み熊野ねっと

2023.6.24 UP



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